コメント頂いたのが嬉しくて三島由紀夫をちょっと調べました。ほんのちょっとだけね。自分のスタンスとしては、世のものごとはシンプルであれかし、といった感じでして、あまり分析が好きではありません。そういう細かい事柄は脳内でごちゃごちゃやっておいて、外に出すのは「AはBなのでCです」くらいな感じでよろしいと思っています。学者がどう思うかより、庶民はどう思うか、を追求したい。自分は他人への共感性が低く、他人と心理的思想的一体感を得ることが少ないため、なるたけ普通の人間の感性を掴みたいと、そういった欲求が、一面にあります。だもんで、レヴィ・ストロースも柄谷もいいけれど、俺はプラトンアリストテレスでいいやってなもんです。三島由紀夫さんについてもあまり細かいことをうだうだとやるつもりはありません。三島の死が衝動的だったかどうか、森田必勝は道連れか、「隠れた天皇」がどうとか、もっと言えば三島の天皇論についても微妙な感じです。また、昭和天皇が自分の理想たる「文化」たる天皇と違ったため、その事のために死ぬというのも、因果関係としてあまり納得できないです。さらには、三島さんを色々解釈する気があまり起きません。もう「生命尊重以上の価値の所在を諸君に見せてやる」と言って死んでみせただけでかっこいいのです。萌えなのです。共産主義の成就のためにお前は腹を切って見せられるかい?ということなのでして。ですから三島由紀夫「論」なんてできるはずもありません。ちゃんと死ねたんは偉いなぁ、と素朴に思うだけっす。
 三島由紀夫の言う「文化」としての天皇って、ニュアンスとして西部邁の言う「伝統」のニュアンスに近いですよね。受け継ぎ伝承する過去の叡知といった感じです。この感覚は中高生にわからせるのはなかなか難しい。歴史による恩恵をどれだけもらっているかを生活の中から抽出する想像力や、歴史というある種の強制に対する、心理的武装解除が要るからでしょう。だから、あるていど子供の頃から天皇や歴史に対する敬意を育てておかないと、ある一時期日本を激しく嫌うかもしれませんね。http://www2.odn.ne.jp/~aax63750/より、

日本には、「自決」という政治表現があるんです。「自決」は、諭したい当の相手がダメだと思ったら、
自らの命を捧げて、まわりの人に訴えるという政治的な表現法です。

三島は自決しました。訴えたことは檄に書いてあります。それは公的姿勢や伝統保持、独立自立といった感覚に包まれているため、それならば小林よしのりさんの「戦争論」シリーズを読むとよくわかるだろう、と思い以前の日記で書きました。自分は単純に三島さんの檄文を理解しやすくしたかっただけでして、死因がどうとかはどうでもいいことです。簡単にまとめれば、
1 市ヶ谷に乗り込んで総監を人質にとられたのに発砲ひとつしない、米国の使いっぱしりである自衛隊の「私生児根性」に絶望
2 ソ連中共のような共産主義の名を借りた巨大権力に寄りかかって安心している全共闘に失望
3 神話的・文化的天皇であるべき存在が人間天皇に堕していることに失望
といったところで、これは死因というよりただの不満でして、その不満を解消しづらいと気づいたときに、自決して訴えてみせる。

日本の文化伝承のあり方は、後に続く者あるを信じるということです。自分の身は滅しても、誰かが跡を継いでくれると信じること、それが日本人の魂の伝承なんです。 ヨーロッパ文化などでは、しゃべり尽くして、相手に伝えるわけですが、日本文化は、全く違います。自決で、先生が訴えたかったものは、憲法改正という形あるものだけじゃなく、日本の文化伝承の様式そのものを、「これが日本なんだ」「俺の死を通して、日本の真の姿を見よ」と、国民全員に訴えたかったのだと思います。

悪魔のミカタ的に言えば、「呪いをかけた」わけです。当時そんな三島の行動は首相に「狂っているとしか思えない」といわれ、三島もまた「気違いと言われるだろう」と予測していました。それでもhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog167.html

ぼくの死から一滴の水がしたたったら、その水を心に受けて考えてごらんということです。

と言い、実際ここに来てやっと自分程度の学のない人間にも三島の主張がすんなり通るようになったわけでして。あとは
http://www.melma.com/mag/56/m00000256/a00000125.html
ここと
http://www.melma.com/mag/56/m00000256/a00000259.html
ここがわかりやすいっす。

にしても、実は三島さんってあまり大東亜戦争肯定って感じじゃないですね。日本人の歴史性欠如には、明治〜大東亜戦争の間の歴史的断絶が大きく影響していると思います。そこらへんを徹底的に突っつくと、三島さんもうちょっと良かったかもしれない。軍事や天皇、ひいては"日本"を無化したのは、東京裁判史観ですから。天皇人間宣言なんかよりそっちのほうが大きいのでは。そこを飛ばして武士道がどうとか「これが日本だ」とか言われても唐突でしょう。