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一週間ほどさぼってしまいましたね。書きたいことがけっこう貯まってしまいました。ひとつずつ片付けていきましょう。
で、まずはSAPIO発売ということで。今週のゴー宣は第216章『ひめゆり語り部に関する試験問題』。
きみたちは「ひめゆりの塔」を知っているか?
昔は映画にもなった有名な「ひめゆり学徒」のことを最近の若者は知らない者が多くなった。
今年2月、青山学院高等部が行った入試問題の英語長文の中に、沖縄戦に看護学徒として動員された元ひめゆり学徒の「語り部」の体験談を修学旅行中に聞いた生徒が、「正直に言うと彼女の話は退屈で、私は飽きた」と告白する記述があった。
で、これに対して方々のマスコミがブチギレですよ。大手新聞も軒並み批判してましたよね。このことに関する小林さんの考察が、今回の話題です。
ひめゆり学徒ってそもそも何よ?っていうと、はてなキーワードをそのまま引っ張ってくると、
大東亜戦争末期の1945(昭和20)年、沖縄戦で従軍看護要員として動員された沖縄師範女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒・職員生徒297人からなる部隊のこと。
両校の校章が白ゆりで、第一高等女学校の校友雑誌が「おとひめ」であったことから戦後につけられた名称。
南風原陸軍病院で従軍していたが、戦局の悪化により同年5月25日に病院から撤退命令が出され、本島南部の洞窟(ガマ)を利用した地下壕で従軍。
同6月18日に部隊解散命令が出たが、米軍のガス弾や集団自決により219名が死亡。沖縄師範学校女子部の戦死率は76.5%。県立第一高等女学校は64.8%に及んだ。
地下壕の跡地に「ひめゆりの塔」が建てられ、観光地となっている。
とまぁこんな感じです。なかなか公正な記述でいて、さりげなく「大東亜戦争」と呼んでいるあたり、僕のツボを突きまくってますね。
時事に絡めて言えば、ひめゆり学徒で亡くなった方々は靖国神社に祀られています。石川護国神社の大東亜聖戦大碑にも名前が綴られていますよ。ところがこれも、戦後生き残ったひめゆり学徒の人たちが見事にサヨク化しちゃって、「なんであんなバカな戦争やらされたのに神様扱いされなきゃなんないのよ」と、憤懣やるかたなしといった感じでいらっしゃいます。一生懸命闘ってくれたことは感謝するけど、それとあなたたちの今の言説に対する評価とは、まったく別物ですよ。
さて、話は戻って青山学院高校の英語長文。ネットではわりと話題になってたみたいで、小林さんと同様の批判をするブロガーさんもけっこういますね。検索するとゴロゴロ出てきます。まぁけれど、小林さんくらいの見事な切り方をしている人は見当たらないっす。この濃ゆさこそが小林さん。この漢っぷりこそ小林さん。
ゴー宣の方には、英語の全文が載ってないので、話題になった英語の試験問題。ネットで見つけてみました。こちら↓
http://www.inter-edu.com/kaito2005/high/aoyama/pdf/eng.pdf
ひと通り解いてみたけど、なんか「センター英語ちょい易しめ」って感じで、中学英語の偉大さを思い知ります。アメリカでは台風の名前に人名があてられるんですが、そのことに驚くタローくんがわざとらしくて好き。いや、関係ないです。肝心の長文の方、テキスト起こししたものも見つけたんで、和訳と併せて全文引用しますね。ヒマな人は僕と一緒に読んでみよう!
IV 次の英文を読んで,それぞれの質問に対する答えとして最も適当なものを選び,記号で答えなさい.*印のついた単語は下に注釈があります.
Almost 60 years have already passed since World War II ended in August, 1945. Well, of cource you can say that this war is not over yet for some people in some ways, so it could be "only" 60 years. Anyway, we have to think about this age. We should not forget this important experience. Japan is the only country that has experienced the atomic bomb. We, all Japanese, even people born after the war, are responsible for telling the world not to make the same mistake again. But remember, it's been 60 years. Year by year, we are losing people who have experienced the war. And in the very near future, probably within less than 20 years, we will bocome unable to hear any firsthand* message about the war. From then on, in what way can we pass our experiences, massages and wishes to the next generations*?
(1945年8月に第2次世界大戦が終結して以来、もう60年ほどの歳月が流れた。だが、もちろんこの戦争は、ある意味、ある種の人々にとっては、いまだに終わっていないと言える。なぜなら、戦争が終わってから、「たったの」60年しか経っていないとも言えるからだ。とにかく、我々は、この60年という年月に思いを馳せなければなるまい。この重要な体験を、決して忘れてはならないのである。日本は、原爆を体験した唯一の国である。我々日本人は全員、この戦争の後に生まれた者であっても、原爆という過ちを二度と繰り返してはならないと世界に向けて発信する義務がある。しかしながら、戦後60年が経過した事実も忘れてはならない。年々、この戦争を実際に体験した人間は少なくなっていっている。だから、どうやったら我々は、この体験やメッセージ、そして願いを次の世代に伝えることができるのだろうか?)
Last summer, I saw an unforgettable TV program. Actually, it was shocking. It was a special progarm to remember the end of World War II. It came from one weriter's war ecperience and had many old soldiers'comments. Most of those soldiers were in their late eighties, unable to hold their shaking bodies without the help of their walking sticks. The program didn't hide any of the dead bodies of the soldiers. I wasn't ready for such a scean and I couldn't keep watching it, so I turned the channel to another program. I understand that such pictures can be useful. On the other hand, I thought many people would feel the same way I did. But to my surprise, a few days later, I found a letter from an old lady in the newspaper. In the letter, she said that she was impressed with the program." Thank you for showing the pictures. We will soon become unable to describe the war with words but we can tell something even without using words. We shouldn't be afraid of showing the truth." After reading this letter, I started to remember one of my high scchool experiences.
(昨夏、私は忘れられないテレビ番組を見た。正直なところ、それはショッキングな番組であった。その番組は、第2次世界大戦末期の特集番組であった。それは、ある作家の戦争体験と、多数の年老いた兵士たちの証言によって構成されていた。兵士たちはほとんど、80代の後半であり、杖の助けを借りなければ姿勢を維持できなかった。その番組は、兵士の死体を映すことをためらわなかった。私は、そのようなシーンを見る心の準備がなく、見続けることができなかったので、チャンネルを変えた。そのような映像が戦争というものを理解するためには有効であることはわかったが、一方では、多くの人々は私がしたのと同じようにチャンネルを変えるだろうなとも思った。しかしながら、私が驚いたのは、数日後、新聞にお年寄りの女性からの投書を発見したときである。その投書で、彼女は件の番組に感動したと述べていた。「あの映像を見せてくださってありがとうございます。私たちは、戦争を言葉では表現することはできませんが、言葉ではないものでは、少しは伝えることができます。私たちは、真実を直視することを恐れてはなりません」この投書を読んで、私は高校のときの出来事を思い出した。)
It happend during my school trip to Okinawa. During my stay, my class had a chace to visit an old air-raid shelter* which was left as it was from the war. Everyone had theri own lights, and follwed the old guide into the cave*. Inside the cave, it was dark and wet. It was almost untouched from the time of the war. It was a perfect playground for city kids. We laughed at each other when someone slipped and fell. We enjoyed the echo of our voices. "Won't it be interesting if we camp here?" someone said. Yes,that sounded really nice! Then the old guide said, "OK, let's turn off our lights." After the final light went out darkness appeared. It was a total darkness. No one said anything. I mean "couldn't say" anything. "This is the war. The only thing we wished in this cave was to survive* the war. I don't want to experience it again." On our way back, no one spoke and of course no one laughed. I still remember how I felt when I saw the outside light and how I thanked God when I finally got out of the cave. I wasn't surprised when I saw some of the girls were crying. There weren't many words but we understood what that experience meant. Only at that moment, I understood why the old guide didn't talk much and answered our questions with only a few words during the tour.
(沖縄への修学旅行のときの出来事である。旅の途中、私たちのクラスは、戦時中から残っている防空壕を見学する機会を得た。みんな懐中電灯を持って、年老いたガイドについて洞窟の中に入っていった。洞窟の中は、暗くて湿っていた。その洞窟は、戦争の時からほとんど手が加えられていなかった。そこは、都会の子どもにとっては、ただの観光地であった。私たちは、誰かがすべったり転んだりしたら、お互いを見合って笑っていた。自分たちの声が響いてエコーになるのもおもしろがっていた。「ここでキャンプしたら、おもしろいんじゃない?」と誰かが言った。そう、それはとてもおもしろいアイデアのように聞こえた。そのとき、年老いたガイドが、「じゃあ、懐中電灯を消してみてください」と言った。最後の一人が照明を消した後、真っ暗闇が出現した。それは、完全な闇であった。誰もが物を言わなくなった。いや、「言えなく」なったのだ。「これが、戦争なのです。この洞窟の中で私たちが願っていたことはただ一つ、戦争に生き残ることだけでした。私は、二度とこんな体験はしたくありません」誰もしゃべる者はなく、もちろん笑う者などいなかった。私は、洞窟の外の光を見たときどう感じたか、そしてついに洞窟の外に出たときに、どんなに神様に感謝したのかを、今でもはっきりと覚えている。何人かの女の子が泣いているのをみても驚かなかった。多くは語らなかったが、私たちはその体験が意味することを理解した。そのときになってようやく、私は、なぜ年老いたガイドが旅行中に多くを語らず、私たちの質問に短い言葉でしか答えなかったのかを理解したのである。)
Then we moved to the Himeyuri Memorial Park. Although we started to forget the cave,we still didn't talk much because we were a little afraid and nervous that we might have to listen to some stories, maybe even more shocking. Yes, the story that the old lady who survived the Himeyuri squad* told us was shocking and gave us a great image of the war. But to tell you the truth, it was boring for me and I got tired of her story. As she spoke more and more, I lost my strong impressions from the cave. I could see that she told the story so many times, on so many occasions, and she became so goog at telling it. Her story sounded so easy, like a bedside story told by a mother to a baby. Of course, some of my friends were moved by it, so I shouldn't say that her story didn't mean anything.
(それから、私たちはひめゆり記念公園に向かった。私たちは洞窟内での出来事は忘れかけていたが、それでもあまりしゃべれずにいた。なぜなら、ひめゆり記念公園でも、そうした物語、しかもおそらくはもっとショッキングなお話をきかなければならないだろうと思って、少し怖がって神経質になっていたからである。そう、ひめゆり挺身隊の生き残りのお年寄りの女性が私たちに語った戦時中の体験は、衝撃的なものであり、私たちに戦争のイメージを強く植えつけた。しかし、本当のことを言えば、それは私にとっては退屈で、彼女の話には疲れていた。彼女が話せば話すほど、洞窟内で感じた強い印象が薄れていくのだった。私には、彼女がいろんな機会に何度もその体験を話すので、非常に話し慣れているように見えた。彼女の体験談は、母親が赤ちゃんに歌う子守唄のようにやさしく聞こえた。もちろん、友人の何人かはその話に感動していたし、彼女の話が何の意味もなかったというわけではない。)
Passing truths and experiences to the next generation is important work. But how? What is the best way to do it? Of course the clearest way is with WORDS. The power of words is great. But the problem is how we understand them. If the listener doesn't understand the ideas of the speaker, even a good story becomes just a list of words. Another problem is that if the speaker's opinion is too strong, it may give a different message. Remember the Asian Soccer Cup held in China last summer? Many Chinese booed* Team Japan. Probably most of them heard war stories from their parents and created their own ideas about Japanese. Of course we shouldn't say that the information they got from their parents was wrong, but what exactly did their parents say to them? And how?
(真実と体験を次の世代に伝えることは、重要な仕事である。しかし、それはどのような方法で行えばいいのであろうか?真実を伝える最も適切な手段は、何なのであろうか?もちろん、最もわかりやすい手段は、「言葉」を介する方法である。言葉の力は、偉大である。しかし、問題は、受け取り手がその言葉のメッセージをどのように理解するかである。聞き手が、話し手の言わんとするところを理解しなければ、すばらしいお話であっても、ただの言葉の羅列と化す。もう一つの問題は、話し手の意見が強く出すぎて、聞き手に違うメッセージを伝えてしまうことである。昨年の夏に中国で開催された、サッカーのアジア杯のときのことを覚えているであろうか?たくさんの中国人が、日本チームにブーイングを発した。おそらく、彼らのほとんどは、親の世代に戦争体験を聞かされて、日本に対する固有のイメージを持ったのであろう。もちろん、彼らが親から得た情報が間違っていると言うことはできないが、完全に正確に伝わったのであろうか?また、どのような言い方で伝えたのであろうか?)
As I wrote, we will not be able to listen to firsthand messages about the war someday, but there are some other ways instead. Sometimes you can send the best message without words. When you become a student of Aoyama Gakuin High School, you will visit Nagasaki on your school trip. You will have a chance to listen to the stories of people who experienced the atomic bomb. What message do you think you will get at that time?
(私たちが、戦争を直接体験した人の話を聞くことができなくなる日がいつか来るであろうが、体験を伝える代替手段はいくつか存在する。場合に応じて、言葉に拠らない最も適切なメッセージを送るべきである。君たちが、青山学院高等部の生徒になったら、修学旅行で長崎に行くことになる。そこで、原爆を体験した方の体験談を拝聴する機会があるだろう。そのとき、君たちはどんなメッセージを受け取るであろうか?)
firsthand:直接の generation:世代 air-raid shelter:防空壕 cave:洞窟 survive:生き残る Himeyuri squad:ひめゆり部隊(第二次世界大戦中,沖縄で女子学生によって結成された従軍部隊) boo:ブーイングをする
うん。なかなか良い文章です。ブログ界ではわりと話題になったことらしく、そのことから「いまさら取り上げたって流行遅れだし。ていうか実はネットに書いてあることのパクりだろ?」とか言うさがない人もいるでしょうけど、少なくとも俺は知らなかったので、一般人のほとんどは知りません。よってOKです。俺が世界だ。
内容の評価、批評についてはSAPIO買ってゴー宣読んでください、ということで。本文が気になる人も多かろうと思って、紹介してみました。